けん玉を含めた手具の研究は極めて少なく、最近出版された「中国芸能史-雑技(サーカス)の誕生から今日まで」(三一書房)は、貴重な文献です。

けん玉のルーツともいうべき紀元前の弄丸(ろうがん:いわゆるお手玉)及ぴ跳剣(ちょうけん:玉のかわりに剣を使います)、累丸(るいがん:いわゆる玉重ね)等の雑技がその中に散見されます。
なお、これらの初出は、「荘子(そうじ)-達生篇」の「承蜩」(せみとり名人)であり、けん玉に極めて近い糸なし手具の原型を見る思いです。

今回は、この文献をベースにした古代の手具論を中心に論を進めていきたいと思います。

(1)「ゆとり」の発生と遊戯用手具の誕生

狩猟民族時代の獲物を仕留めた時に「限りない喜ぴ」を感じたことを、古老にいつも聞かされて育った子供が、狩猟民族から農耕民族へと進歩していった時に、昔のスリリングな気持ちを懐かしむことから、様々なスポーツやゲームが誕生したと言われております。特に狩猟用手具を模した遊戯用手具は、農耕労働に「ゆとり」ができて、休息を「楽しむこと」ができることが誕生の条件です。

歴史的にはこの様な状態は、4,000年前の尭帝の時代に生まれて、歌いつがれてきた「古詩源-撃壌歌」に表現されております。広々とした田野で老爺が多数集まって「撃壌」(げきじょう)という投擲(とうてき)技に興じながら撃壌歌を歌ったといわれます。的(壌)に向かって、木片を投げる成人の遊戯であり、狩猟民族時代の回顧的遊戯であることは容易に推定できます。的と木片が糸でつながれていないので、現在の輪投げの原型とも考えられますが、遊戯用手具の基本形でしょう。

(2)職業としての雑技家の発生と「極意技」

2,300年前の「荘子」の時代には、弄丸、跳剣、累丸が発生しておりますが、職業人としての雑技家が中心であり、前述の朴訥(ぼくとつ)な田野の遊戯的な技「撃壌」から派生して、見世物的な演技としての曲芸が誕生していることは間違いないようです。この当時の技のポイントは、均等のスピード、敏捷な動作、瞬間的判断力の正確さである目、手、心の完全一体の動きの完成であると言われております。現在のけん玉の一流選手の空中技(宇宙遊泳、円月殺法等)の演技ポイントの原型そのものとも言えます。

累丸の記述である「荘子-せみとり名人」の部分の記述は、まさに現在の五段の技「すベリどめ極意」そのものであり、紀元前にけん玉の極意技の完成が達成されていることに驚きを覚えるのは私一人ではないでしょう。

(3)けん玉の「糸」の原型に関する仮説

狩猟民族時代の狩猟用手具、農耕民族時代の遊戯用手具、雑技家の玉と剣、これらには糸と呼べるものはありません。現在のけん王の糸はいつ誕生したのでしょうか。けん玉界最大の謎とも言うべきこの難問に対して、「魚採り用リリース式もりは、先端のもりと手元の棒とが糸状ひもでつながれている」という考古学的事実は、遊戯用手具への応用が期待できます。夢見る人は古代にも存在していたのでしょう。次回にはいよいよ糸が誕生します。歴史は中世へと進化します。

(1999 けん玉通信 No.111 より)